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高橋先生曰く、
思っているよりもずっとずっと人生は短い。-志の高い企業、ふつうの人志の高い人を雇いたがるのは、志の高い企業のするべきことなのだろうか。志の高い企業は、ふつうの志の人を雇い、高い志を持たせるような企業ではないだろうか。あるいは、ふつうの志の人を雇い、ふつうの志のまま、よい仕事をさせるような企業ではないだろうか。
強力なfooメソッドに劣らぬほど強力な意見だけど、引き寄せられる前に考えて欲しい。
あなたは肉体と時間だけではなく、志まで雇われたいのか、と。
もし会社があなたに志を持たせることが出来るのだとしたら、当然会社はあなたの退職の際にはその志の返却を求めるだろう。
もちろん、そんな事は不可能だ。
志に限らず、会社というところは数値化不能--厳密には数値化できるという幻想が成立し得ないもの--に対しては投資もしないし、代価を支払うこともない。少なくともそれが建前である。そうしなければアンフェアということになる。逆に数値化幻想が成立しているものに対しては、その帰属を明らかにした上で、それが会社に帰属するとなれば血も涙もなく取り立てる。血や涙はアンフェアなのだから。
だから、会社というものに給与以上のものを期待するなら、あなたも従業員以上のものを会社に与えなければ取引は成立しない。
かつて(そして恐らく今でも)、日本には従業員は会社に会社以上のものを求め、そして会社は従業員に従業員以上のものを求めて来た。まがりなりにも「取引」は成立していたが、それは会社以外の何か、強いて言えば会社0.0とでもいうべきものだろう。
会社1.0のドグマは、「数値化による公正化」だ。志というものはそこにはそぐわない。
皮肉にも、会社を設立するに当っては、この志というものは欠かせない。しかしそれは創立者や役員といった「コアメンバー」で押しとどめるべきだ。会社は従業員に雇用契約以上のものを求めてはならないし、従業員もまた会社に雇用契約以上のものを求めるべきではない。
平たく言えば、体は売っても心は売らないのが従業員の心得であり、体は買っても心は買わないのが会社としての心得ということになる。
「会社」が心まで買うとどうなるか、我々はもう充分学んだのではないのか?企業不祥事というのはすべからくこれが原因となっているのではないか。いや、国家単位でこれをやった結果、この国はどうなったのだっけ?
もちろん、我々はパンのみで(Larryは小麦アレルギーなのでごはんのみで:)生きているのではない以上、志を受け止めるための器(vehicle)がどこかに必要だとは思う。
しかし、それを会社に求めるのは間違っている。
会社がとるべき態度は、せいぜい志を会社のデスクに置き忘れても、そっとそのままにしておく程度でいい。あるいは、「20%ルール」とでもいうべきか。会社はオフィシャルに金も出さないかわりに、社員の遊びに対しては放置する。この程度なら「福利厚生」で片がつく。
しかし、セミナーだの訓示だので、志を植え付けるがごとくは、会社の傲慢というものだ。それでよかった時代もあったのかも知れないが、今や社畜という生き物は不良資産扱いだ。企業不祥事の際に産廃扱いで捨てられるのがヲチである。
会社2.0に取りかかる前に、せめて会社1.0をリリースしませんか、みなさん。
Dan the Employer
メモ。
志の高い人を雇いたがるのは、志の高い企業のするべきことなのだろうか。志の高い企業は、ふつうの志の人を雇い、高い志を持たせるような企業ではないだろうか。あるいは、ふつうの志の人を雇い、ふつうの志のまま、よい仕事をさせるような企業ではないだろうか。
優れた人を雇いたがるのはよいことなのだろうか。それは極論すれば、優れていないひとはどうでもいい、ということなのではないか? そのような企業で働きたいと思うだろうか? そのような企業で働きたいと思う人ばかりの社会で生きていたいと思えるだろうか?
ふつうの人が9時から6時まで(または10時から7時まで)、ふつうにプログラムを書いていればふつうに生活ができる、という世界の実現は困難なのだろうか。
今のソフトウェアエンジニアリングはふつうの人に辛すぎる。ここで言う「ふつうのひと」とは、たとえば「基本的に自分で本を買わない」「就業時間以外はプログラムを書かない」ようなひとだ。
自分で本を買って読むのはよいことだ。就業時間以外にコードを書くのもよいことだ。しかし、それは個人のたのしみのために行われるべきものであって、職業上の義務としてなされるべきものではない。それでは単なる時間外労働である。
業務のために、就業時間外にたくさん本を読め、と説く人々は、時間外労働を対価なしに(むしろ本代を払って)行え、と説いていることに他ならないはずだ。これを問題だと思わないのだろうか。私は非常に重大な問題だと思う。そのような行動をとらなければキャリアに支障を来たすというなら、それは業界そのものが深く病んでいるとしか思えない。
時間外労働を対価なしに行うひとだけが報われる社会を、そして何より、そのような社会を留保なしに肯定する人たちを、私は認めない。
「会社というところは数値化不能--厳密には数値化できるという幻想が成立し得ないもの--に対しては投資もしないし、代価を支払うこともない」というのが、「!」だった。これは「Dan the Employer」の視点か。